仏像のかたち ボディマッピング(その2)

本来なら下肢についてかくはずでしたが、腕のことを考えていたら興福寺の阿修羅像が思い浮かびました。

数年前Cathy先生に腕のワークをしていただいている時、自分の腕が阿修羅像の腕のようにとても長く伸びて感じられたことがありました。

阿修羅の腕の形狀は直線的ではあるものの肘は左右に広がり、合掌する手の指はごく自然に指先方向に伸びている。

以前から仏像を見るのは好きでしたがなぜ仏像がかくも美しく多くの人々を惹きつけるかを考えました。

その理由の一つとして“人間の自然なデザインに添っている。“、しかも最も美しい静かな瞬間を描写しているからと思いました。どの寺の仏像も、また美術館でみるインドやアジアから来た仏像も頭と首の関係、背中のカーブ、などの見事さはそれらを造った仏師には人間(?)の美しい在り様がよく見えていたのでしょう。

そしてその像は静止しているにもかかわらず今にも動き出しそうに見える。

立像の頭が、かすかに動き足が前に出る、座っている仏像の、頭が繊細に動き、脊椎、手と腕が動き、そして立ち上がる姿をなぜか容易に想像できる。

その動きは静けさそのものである。

京都永観堂禅寺の見返り阿弥陀様を何年も前に東京で見ることができた。いまでもよく覚えているが、本当に歩いているようだった。

もちろんギリシア彫刻、そして絵画における人物像にも同じことがいえると思う。

ゴヤの“裸のマハ”、“着衣のマハ”をはじめとする人物像、それは奇怪な人物像であっても、である。

ゴッホ、ルノアール、モジリアニ、ゴーギャン、など思い出すかぎり美術館で見ることができる名品といわれる人物像はみなそうであると思う。

もうすぐ上野で運慶展が開催される。早く見に行こう!