アレクサンダー・テクニークと坐禅

坐禅するためにアレクサンダーテクニークを使う
私がこのワークを続ける大きな動機の一つはともかく“坐禅”ができるようになりたいということでした。
数年前、6日間の接心に参加しました。自分が学んでいるアレクサンダー・テクニークを試すつもりもありました。
坐れたのです!もちろんあちこち痛みはでましたがともかく坐り続けることができるようになったのです!

どのように坐るか
藤田一照老師は‘坐禅読本’において以下のように坐り方について書いています。

坐禅は調身、正身端坐といわれます。調身においては体幹が深いリラックス状態のまま身体の上下の軸(体軸)が重力のラインとのより正確なアラインメントに向かいつづけながら坐蒲の上に柔らかく置かれているというクオリティが最優先されなければなりません。

どのようにその状態に近づくか?
アレクサンダー・テクニークはそのために大いに役に立ちます。
要は体を支えるために脊椎が使われるようになりさえすればいいのです。
そのために頭が脊椎の上で動くことをお願いします。
これだけです。すると習慣的な姿勢を維持しようとしていた背部の筋肉群の
緊張が減り脊椎は長くなり、体重を支える力がより働くようになります。
呼吸が楽になり、それに気付く時間がふえます。
厄介な思考に切れ目があり、途中でやめることができるようになります。

“頭が脊椎の上で動くことを思う”ことはアレクサンダー・テクニークの先生の手とことばが最初は必要です。
私は坐ることに興味を持つ人、それを大変と感じている人にこのワークを体験することをお勧めしたいです。

トミー トンプソン(アレクサンダーテクニークの老師とも呼びたい先生)氏は
アレクサンダー・テクニークについて以下のように語っていま。

”支えがあることの喜びは認識され、耳を傾けられ承認されることを待っている。
(中略)それは息を吸って吐くときのその間の時間にある。”
全文はTommyさんのHPを参照ください。
https://easeofbeing.com/japanese-translation-moving-from-the-still-point-of-support/(アレクサンダーテクニーク教師の石田康裕さんによる日本語訳)

高校生のころ、岩波新書の鈴木大拙著、「禅と日本文化」を読んだのが最初の坐禅ということばとの出会いでした。
“人生は思い通りにならない”と痛切に実感し、ただ意味もわからず“禅”というものに魅かれた記憶があります。
なぜか魅かれた“坐禅”ということばは私の人生の航海のなかで荒波の中に垣間見える陸の灯のようなものになりました。アレクサンダー・テクニークを学び続けたことで、50年以上前の願いがいま実現しているのです。